『消えない月』畑野智美著 (角川文庫)が発売されました。

消えない月

『消えない月』畑野智美著 (角川文庫) が発売されました。

小早川が以下の解説をしています。

不思議な題名だと思った。月とストーカーを並べて考えていたら、満月と「狼男」が浮かんできた。しかし、小説のストーカーは新月の夜、「後ろには、夜空が広がっている。月が輝き、桜の花が舞う」最後の姿を現した。キラリと光る細い月がストーカーの危うさを際立たせる。

「狼男」と言えば、フロイトの最も有名な症例となったセルゲイ・バンケイエフの名前を思い出す。ニックネームは本人が語った狼の夢にちなんで「狼男」。フロイトと「狼男」は5年という長きにわたる治療の後、フロイトの死まで関係を続けた。周知のことだが、二人は「転移」(患者から医師への性的幻想の投影)と「逆転移」(医師から患者への性的幻想の投影)の関係だった。

小説の二人の主人公の出会いはマッサージ店。客の松原君をマッサージ師のさくらが担当した。マッサージ店での出会いを偶然と言えばそれまでだが、ストーキングの相談に乗ってきた経験から言うと、マッサージ師と客という関係のストーキングは典型的とまでは言えなくても少なくはないのだ。歯医者と患者の間のストーキングもたくさん見てきた。命に係わるほど重くない、健康とさえ言ってよい身体を俎板の上の鯉のように横たえる側、否応なく密着してくる側、その非日常的なシチュエーションで、どちらかの、あるいは双方の「欲動」(性=生エネルギー)が蠢くとき、対象に対する強い「接近欲求」が生じ、理性を凌駕すれば対象への関心が「固着」する。「接近欲求」が成就すれば恋愛だが、拒否されるという「摩擦」が生じればさらに欲求が高まりストーカーとなる。

フロイトの精神分析療法においても、患者は長椅子に横たわり、その足元(のちに頭部横)に治療者が座る。心的不調の原因は無意識に押し込められた葛藤の記憶だとする。治療者が語り掛け、患者の連想に同行し、それを突き止め、意識化し、言語化する。葛藤の記憶は自我に支配され、心的不調の諸症状は解消するという手順だ。

最終章の松原君の告白から見えるものは、月の光のように冷えた家庭で育ち、虚勢を張り、嫌いな自分を隠しながら生きてきた光景だ。私がセラピーをするストーカーの多くも、両親から得られるはずの無条件の愛の不在について語る。彼らと松原君の間に差はない。彼らのインナーチャイルド(内なる子供時代の人格)は叫んでいる。愛してほしいと泣いている。安心できる誰かを求めている。探し求めてきたものは太陽の日差しのような温もりだ。

そこに差し伸べられたさくらの温かな手、声、醸し出す雰囲気、それらは毒のようにあっという間に松原君の全身に回っただろう。人情豊な家族に囲まれて育ったさくらには、純朴さ、素直さ、控えめさという特筆すべき古風な価値がある。過去、自分に積極的に近づいてきた女性たちには感情を動かすことなく足蹴にしてきた松原君が、さくらには激しく動揺し、時間も金も労力も惜しまない。アディクション(熱中、依存、嗜癖、耽溺)が始まる。

小説は二人の主人公がそれぞれ一人称で語るという構成になっていて、ストーカーと被害者の意識の落差を、ここまで書くかというくらいに詳らかにし、進行する。夢見心地で始めた交際はあっという間に事故現場のような有様になる。予想もしていなかった支配者として君臨する松原君に驚くさくら。苦悩し、「別れたい」と一言だけのラインをしたが、素直すぎた。ストーカーが飛び立つ滑走路を造ってしまった。

ストーカーが羊の皮を脱いで狼の本性を現すのは、だいたい交際して2、3か月から半年くらいだ。何かおかしい、常識が通じないという感覚に襲われたら別れる決断は早ければ早いほど良い。ただしストーキングされないように、されても対応できるように、別れ方は計画的に行わないといけない。さくらができなかったことをしないといけない。金銭のなどの貸し借りの清算(さくらが貰った指輪とブリザードフラワーのように特別なものは別れを告げたのちに他者を通じて丁寧に返す方が良い)、お互いの持ち物を戻しあう作業(服は丁寧にクリーニングして郵送でもよい)、鍵を渡していたなら錠前を変えてしまう、これらは別れを切り出す前に少しずつ進めていく。そして、いざという時の居場所の確保(目星をつけておく)、相手が電話や押しかけて来る可能性のある場所(職場、学校、実家など)への相談もしておかねばならない。

準備が整えば、一度は喫茶店など公衆の場所で会って、「別れます」と伝えることだ。暴力的な相手なら決して会わず、メッセージだけ送る。相手の問題点をいろいろと指摘してはいけない。「治すから別れないで」と言われるのが落ちだ。

ストーカーは、交際中は相手が離れないように自由を奪い、正当なことをしていると考える。相手が去れば「戻ってさえくれれば全てがうまくいく、それが相手のためなのだ」と考える。欲求が強すぎて、無意識に正当化するため思考が歪むのだ。ながなが話しても決して考えは変わらない。最後に一度会いたいと言われても、会ったら最後にはならない。だから、話は15分で切り上げる。

別れを告げた日は(できれば数週間は)自宅に戻らないようにする。少なくとも自宅付近で一人歩きはしない。ラインやメールは閉じず、相手の受け止め方、感情の悪化の程度を把握できるようにする。メッセージがきて何を言われても「私の考えは変わりません。別れます。連絡しないでください」を繰り返す。それでもメッセージが続き、職場などに連絡してきたら、法律家に代理人となってもらい「直接の接触はお断りします」の内容証明郵便を出してもらう。あるいは警察からストーカー規制法の警告を発出してもらう。ここまで来たらラインなどはブロックし、引っ越しするのに越したことはない。

しかし、これでストーキングが止まっても安心してはならない。ストーカーに「風化」はない。ストーカーが姿を消した時こそ危険だと思うべきだ。カウンセリングや治療を受けない限り、ストーカーが欲求を手放したり、欲求を低減させたりするのは至難の業なのだ。どこかで見張っている、狙っていると想定して、行動しないといけない。

小説は終末に向かい、松原君はさくらを追い詰め、自らも追い詰められていく。ストーカーの息はたいてい浅い。姿を隠し、息を潜めながら必死に標的に接近するからか。執念を燃やしてさくらの居場所を探し出した松原君は、さくらとの出会いを「運命としか思えない」と確信したが、さくらがすでに自分の手から逃れ、別の運命に身をゆだねていると知ったとたん、「許せない」気持ちへと一気に転じる。 最初からさくらの気持ちが離れていることは分かっていた、分かっていながら受け入れることを拒み、作り上げてきた「妄想」が崩れたのだ。

さくらは守ってくれる人たちと行動を共にし、迫ってくるストーカーの気配に気づかず少しの安堵を得ていた。その間隙をつかれる場面は、さくらの鼓動が聞こえてくるような迫真の描写で、体が震えた。作者自身も心臓を震わせながら書いたに違いない。出会いは「運命としか思えない」と確信したが、さくらが自分以外の男と住もうとしていることを知ったとたんに「許せない」という気持ちへと一気に転じる。それまで、実はわかっていたのに受け入れることを拒んでいた現実を突きつけられたのだ。

私は以前、ある人間から「カウンセラーはメンタル慰安婦だ」と言われたことがある。違和感があり反論したかったが、違和感の理由がわからずできなかった。それがこの小説を読んで少し理解できたように思えた。慰安婦という言葉には「誘惑者」というニュアンスが含まれているのではないか。そして、他者に対して無意識に慰安を求める人間は、慰安を提供されると、今度は下位に置かれるという警戒心から誘惑されたととらえるのではないか。松原君がさくらに魅了されたのも、さくらに拒絶され傷ついたのも、さくらの責任ではない。松原君自身が勝手に魅了され、勝手に傷ついたのだ。その傷を治したいならカウンセリングが助けになる。

人は他者に何かを求める存在だ。求めない人はいない。だからこそ、自分が求めているということに責任を負うべきだ。そのためには、「私は寂しい(苦しい、お金がない、罪を犯した、仕事をなくした、等々)、だからこうしてほしい、しかし、そうしてくれなくてもあなたの自由だ、私はあきらめる。でも、もし私の希望を受け入れてくれたら感謝でいっぱいだ」と、言葉で言える強さが欲しい。(そう思えなくても言葉にすればそのように感じられてくる) ここには爽やかさがある。カウンセリングを受けながら「カウンセラーはメンタル慰安婦だ」とは言えなくなるだろう。

松原君は最後に友達についての思いを述べている。「住吉は必ず泣く。その涙に、救われた気がした。もっと早く僕に会いに来て、泣いてくれたらよかったんだ」と。松原君は、自分がさくらを追いかけていたのは、本当は温かいものを求めていたということを理解しなかった。わからなくても、誰かが温かさの中に招き入れてくれたら、彼はカウンセリングや治療に助けを求めることもでき、事件を起こさなかっただろう。

この小説はストーカーについて書かれているが、二人の主人公を取り巻く人物たちの個性や熱量の差といった視点でも興味がつきない。ストーカーと縁を持たないための、またストーカーにならないためのテキストとして多くの人に読み込んでほしいと思うとともに、登場人物の誰に共感できるかできないかを感じることで、自分がどう生きたいのか、他者に求めるものはどういうものかを考える楽しみを味わってもらいたいと思う。


消えない月 (角川文庫)